2008/02/11

カンボジア・ベトナム旅行記 7

長い事書いてきましたが、帰ってきてからも色々あるのにカンボジア旅行記で書けない事もおおいので、これを含めてあと2回で終わります。

かつて宮廷のあったというフエの町を堪能した2日間を終え、翌日はフエから車をチャーターし3時間半のところにある「ホイアン」に向かった。この町は、16世紀以降様々な国との貿易の拠点となった町。もちろん、日本との貿易もあり、世界遺産である「ホイアンの古い町並み」には16世紀に日本人がつくった「日本橋」も含まれている。多くの観光客がベトナム旅行の中でこの町に来る理由にはもう1つあって、スーツやシャツ、ドレスにベトナムの女性の正装である「アオザイ」等を作る職人がたくさんいてそれを目当てに来る。(写真の豚は生きている)

この旅の前には、フエとホイアンの間にあるダナンという町に宿泊してそれぞれの町に行く予定であったが、ダナンには観光名所がほとんどなくリゾート地であるという話を聞いていたので、フエを拠点にホイアンへの日帰りトリップを企画したわけである。寒い寒いフエの街をでて海辺の町ダナンを過ぎてくると気温は一気に上昇。ダナンからホイアンへの途中でまず「五行山」(マーブルマウンテン)に立ち寄った。ここは、陰陽五行説にならい、「木・火・土・金・水」と名前のついた山々が連なり、それぞれの山に洞窟を作り仏像が彫り込まれている。この場所で、日本からのピースボートの人々に会った。ピースボートは一人130万円位の予算で参加し、船で世界一周の旅をするという。様々な国の港に船が着いたら、出発時間まで観光するも良し、途中下船をして他の国を回り、どこかの港からまた合流も可能という面白いシステムの旅である。その中の一人の人と会話をしたら、船はその日にベトナムに辿り着いたということであった。
この五行山の観光は、階段も険しく洞窟への出入り口も小さくて結構大変。妻は頭をぶつけていた。この辺りは石がとれるらしく、石像の販売なども栄えているようだった。こちらの人はとても器用だな。(写真:仏像と一緒に笑う)

ホイアンはそこからおよそ40分。田園風景を抜けた場所には、200年前の町並みそのままがのこっていた。「なるほどこれが念願のホイアンか」と思いながら,時間はすでにお昼。お腹もすいたので、ホイアン名物のうどんと餃子のような食べ物をGETする。旅ではその土地の名物を上手かろうとまずかろうと食べるのは面白いし、この旅では95%の確率で美味しいものにあたっているので積極的にオーダーできるのも更に楽しい。狭い道が多いのと町自体が大きくないせいかこの町には比較的バイクが少ない。そしてとても暑い。山1つ越えた向こう側とコチラがで何故に10度以上も気温が違うのか?熱射病になりそうなくらいに暑い。町の至る所にオーダーメイド服専門店がある。多くの人が、雑誌を手にして店にやってきては、このデザインでこの生地でこの色でとオーダーをしていく。ある程度のものは2日間くらいで出来てしまうんだとか。刺繍の技術が凄いのはかつての日本で養蚕業が栄えたのと同じように国が推進し援助している。(写真中:ホイアン名物)

この町の経済は観光が主。この時期はヨーロッパからの旅行客特にドイツとフランスからが多い。歴史博物館では数百年前に書かれた日本語に触れ、橋をみては古き日本人の思いに触れる。「あーノスタルジック。」なんて考えて歩いていると後ろから「ビーービーー!」とバイクにクラクションを鳴らされる事しばしば。(写真左:野良犬ハチ公)

ぶらぶらしているうちに早くもフエに戻る時間。「ここに一泊でも宿泊できたら良かったな」とぽつり一言でてしまう。そうそう、この町には毎月特別な日がある。満月の夜には街全体が電気を消しランタンで過ごすのだとか。この町在住の人に話を聞いたら、彼女もこの満月の夜が大好きだという。素敵だね。でも夜のホイアンはまだ見ていない。

はいはい。もう帰る時間。Orchid hotelに夜19時にたどり着き、近くのレストランで食事。流れる曲は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。あーノスタルジック。トゥクトゥク(シクロ)のお兄ちゃんは、店に客がいると、店の前で張っていて、出てくるなり「シクロ?」と聞いてくる。これがいい加減うるさい。一度、店の前で体の不自由な人を装って物乞い風に帽子を差し出して[ money money] と言っている人を見た。この人は5分後にはちょっと離れた場所で、自分のシクロにまたがっていた。シクロは比較的要注意だ。

翌日は飛行機でハノイ入り。最後の宿泊先に選んだのは、一応新婚旅行なので豪華に「シェラトン」。この1泊分で、これまでの5日分の宿泊代と同じ。わお、わんだふぉー。次回はラスト世界遺産「ハ・ロン湾」です。 (最後の写真は線路沿いに住む人々in ハノイ)

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