2008/01/28

カンボジア・ベトナム旅行記 その4

報告したき事が1つありますが、その前に旅行記(前編)カンボジア編を終わらせてしまいましょ!(写真はクリックで大きくなります)

この何日間か遺跡巡りをする道々で国道沿いに並ぶボロボロの家々を目にしてきた。市街から離れれば離れて行く程ボロボロになって行ったような気がする。しかし、ドライバーのサム氏は「この辺に住んでいる人は、貧しいといいながらもまだ恵まれている方ですよ。彼らは、田畑を耕し、バナナを収穫し米を作り暮らしています。」そんな事を話していると、走っている車の横を、生きている豚一頭を後ろのかごに縛り付けてバイクが通り過ぎて行った。稲作には牛が一役買っており、道々牛が放し飼いになって、国道を横切ろうとする光景も観る事ができた。

「このあたりよりも、よりひどい光景を明日目の当たりにします」と前日サムさんが言っていた。翌日僕らが足を運んだのは、市街から南に1時間程下ったところにある「トンレサップ湖」。プノンペンに向かって流れるこの川はメコン川に流れ込むのだとか。何を見せたいのか?乗船料25ドル/1人。しばらくすると、船の船頭さんと僕ら二人しかいない船なのに、どこにいたのかおばちゃんがいて「飲み物はいかが?」とすすめてくる。それよりもこっちは「あんた一体何処からきたの?」で頭は一杯だ。断り続ける事1分。すると、そのおばちゃん船の後ろから、横付けされている小さいボートに乗り移って違う船に近づいていった。なるほど、川の商売とはこういうものか。

しばらくすると家が湖の上に浮かぶ集落が目にはいってきた。桶にのって湖を移動する子供に出会った。彼の親が、先程のボートと同様にバナナや飲み物を積んだ船を近づけ来る。淡水魚を釣り売ったお金や僕らのような観光客向けのボートなどで稼いでいるのだろう。それはかなり厳しい生活だとおもう。その生活を僕ができるか?無理だ。

現実をしり、気持ちが重くなっている中続いては「キリング・フィール ド」。この場所こそ、ポル・ポト派が同じ民族であるカンボジアの人々を大量虐殺した場所である。慰霊塔の中には、骸骨が積まれ、周囲には寺院とお墓が立ち並ぶ。 (忌まわしい関ヶ原の記憶が蘇る・・・)この場所にきてから、気持ちは内部からも外部からの影響も受け言葉にならない程の重圧に押された。うぅ呼吸がくるしい・・・

さらに気が重くなって、次に向かったのは「The War Museum(戦争博物館)」。ここは、空港からすぐの場所にあり、遺跡巡り最終日に訪れるには良い場所といえるであろう。アキーラーという人が自ら地雷を発見し処理して集めた「地雷博物館」が有名なのだが、ドライバーの話では閉鎖されたという。その後調べたら他のサイトでも閉鎖された旨がのっていた。さてこの戦争博物館、ロシアや中国製の戦車や大砲が所狭しと並べられている。折角だからと、説明を頼んで、話を聞けば聞く程胸が痛くなる。説明してくれた人自体、両親はスコップのような武器を後頭部に突き刺され殺害され、自身も幼い頃に地雷を見つけ処理しようとしたところ指を飛ばされ指先がなかった。説明という形ではあるが、嫌な事を思い出させてしまい涙させてしまった。(写真:爆発した後の爆弾と踏んだ足をあげると爆発する地雷)

なんと重い日だろう。そのまま、飛行場へ行き3日間案内をしてくれたドライバーのサムと分かれベトナムのハノイへ。飛行機の中では、隣に座ったスイス人のMr.Edgarと妻と3人で1時間強しゃべりっぱなし。仕事の愛間をぬって、ラオスとタイとベトナムを旅してきたという。英語はこういう時のために学んできてよかったと改めて思った。

さてさて、カンボジアの35度の気温にくらべ、ベトナムハノイはめちゃくちゃ寒い。気温は18時過ぎで12度くらい。やばい。何か買わなくてはと思うが、それよりもなによりもやるべき事が1つあった。それは、翌日から3日間予約をとっている世界遺産の街「フエ」にどういくか。早速観光Infoで飛行機を手配しようとするも、明日のフエ行きは、ベトナム人の旧正月前の休暇期間という事もあり全て満席。

「旧正月だとっ!どうしよう?!」

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