2005/07/30

サンフェルミン

まだ、写真アップはベルリンと最後のバルセロナを残しているのだがちょいとアップする時間が無い。今日は東京へ。2日にタップダンス仲間が東京に来るのでちょいと街を案内する予定なのだが、なんと野球を観に行きたいという。僕は野球に全く興味が無いので、お付き合いできませんとお断りしたが、多分クロマティもしくはポンセ辺りを観に行きたいのだろう。

こちらに帰ってきて、結構スペインブームが訪れているような感を受けるのだがそうなのだろうか。 

ちなみに先日行われたスペインはパンプローナ地方でのサン・フェルミン祭り(牛追い祭り)では、参加者の10%近くが日本人という事であった。其れを知った僕の周りのスペイン人の人々は、「日本人はクレイジーだね!」とびっくりしていた。おばかな僕はCrazyと言われると褒められていると取るので、この場合日本人は最高だね!といわれていると思っている。

セビリヤで観た行事の中に、ものすごい重量のマリア像や宗教的に重要な像を人々が担いで街を練り歩くというイベントがある。これ日本のお神輿にも似たもので、ある場所からある場所までその像を担ぎ、十字架を背負ったキリストと同じ様に自分達も重荷をせおって歩くという行事である。 扇子もスペインでは良く使うし、多分、気質的にも文化的にも日本人とスペイン人って似ていると思うんだよなー。

2005/07/28

プラハの写真アップ

なんたって撮った写真が多いので編集に大変だが、風景画を多めにプラハの写真アップ。突然の雨に降られたりと陽気はロンドン見たいと現地の人は言うこの街の天気に翻弄。ユダヤ人の人々のお墓の写真は結構凄い雰囲気。 

今は熱海で情報収集。東京に住み始めるのはまだまだ先の話だろう。毎日毎日Trankiloな生活をすごし、温泉に入っていると僕は本当に日本に帰ってきたのか?と突然不安になる事がある。いい加減1週間も経ち、観光気分はないのだが、これが東京に住んでいるとなると結構カルチャーショックはすごいのだろうか?

東京でもこちらでも、街中で結構人とおしゃべりする機会がある。たいていはこちら側から話しかけるのだが、最初はドキッとされても、でもみんな正直話すのは結構すきなんじゃないだろうか?とも思い始めた。日本人はいいね!

2005/07/26

上京

熱海は静岡県。神奈川県だと嘗て思っていた人いるだろうな。僕はそう思っていた。

週末は、ここ静岡から東京へ上京。到着直後に大地震に見舞われるなど、東京はエキサイティングだ。 二年間いない間に結構回りの状況が変化していることに改めて驚かされている。30代になって改めてのスタートを切ろうと留学に踏み切ったボクサーの友人や、仲間内で新婚カップルが誕生したり。 サンフランシスコで出会って日本でも一緒に遊んでいる友人がパセド病にかかってしまったり。(今は落ち着いているみたい)

二年間ご無沙汰であったラーメンを食べにラーメン屋へ。でも余り感動なし。友人が働いているお店にビックリ訪問を試すも本人お店におらず。意味ねー・・・地下鉄の乗り換えを完璧に忘れ、何度か迷ったり。麻布十番から品川まで電車ってなかったのね^^。

しかし、東京というのは何でこんなにでかいのだろうか?1200万人住んでいるからかな? 別途紹介するがつい先日のイギリスの雑誌でのSurveyでThe cost of living 世界一に見事”東京”が掲載されておりました。ちなみに二位はオスロー(ノルウェー)。3位以降の話は後日。 明日はプラハの写真。

2005/07/22

写真アップ

ブダペストの写真をMy photo-2に13枚アップ。 時間あるときにどうぞ。

ブダペストに入ってから僕はユダヤ人迫害という歴史に随分を興味をもつことができ、温泉巡りで随分とリラックスできた。 ここには、あのエッフェル塔で有名なエッフェルさんがデザインした駅があり、この駅の中に入っているマクドナルドは世界一綺麗なマックとも言われているらしい。。ブダ側の宮殿のそばにある教会は何度も倒壊しその度にそのときの建築様式を取り入れて改築されていて、この教会一つに様々な様式を見る事が出来る。1度で4度くらいお徳。

明後日は、プラハの風景です。 ちゃらっちゃっちゃ ちゃーららーらーらー 世界の車窓から。

2005/07/21

日本完全帰国しました。

この日記を継続するかどうかなんて悩んだ事も無い。これは僕の日記だから、出来る限りずっとつけていきたいと思っている。

バルセロナを後にして日本へ到着したのが19日の朝の8時30分。飛行機は一睡も出来ず、部落差別や警察内部の乱れ等を題材にした映画”レディジョーカー”他3本ほど映画を見て到着。勿論帰国後最初の夕食はつばめグリル。これだけは譲れない。

2年間放浪の旅を続けてきたので、しばしの家族との談話を大事にすべく現在は熱海に帰ってきている。温泉に浸かりながら、今後のことを考え、しばらくは、ラジオ関係の情報収集および活動をしつつもやはり時間がかかりそうな場合、仕事を探していかなければいけない。という事で、アルバイトからはじめてみようかななどと考えながら気持ち入れ替えていこうと思っている。 

なんだか、またどこかに旅に出てしまいそうな雰囲気を持ちつつ、日本完全帰国。さぁていよいよ日本での新たな生活が始まる。 これも自分の人生の一つの物語だろう。

2005/07/18

My last day in Spain

180日間中90日の滞在を許されている観光ビザをフルに使って欧州見聞録を書くためにここにやってきた。そして今日が友人に会ったり買い物したりすると いう観点での最終日。とはいえ、日曜日は大きなマーケットも閉まってしまうので何も買えないってことで、やってきましたサグラダファミリア。8Euroで 中にはいり、塔に登って橋を渡って別の塔から降りるというシンプルな観光。ここは教会だが、まだ中心のホールもキリストを意味する塔も12人の使途の内残 り4人分の塔も建っていない。中は空洞といってもいいかな。でも歴史的重要建築物を見て回る最後が19世紀 20世紀の建築の天才ガウディの建物とはなか なか乙なものである。

ヘレンさんと合流してカサミラへ。 カサミラは観光名所でもあるが実際に人が住んでいる。海の波をイメージしたクネクネした外壁と海草を模したバルコニー の策。部屋の天井は渦巻きだったり、屋上にはこの家を守る兵士の像が建っている。子供的にいえば「すっげぇかっちょいい!!!」という表現。

最後の夕食を二人でとって家に戻りパッキング。なんたって、旅の途中何か新しいものを買ったら何かを捨てないといけない位の積載量100%出来ているので 大変だ。ビルへ二アさんが久々に戻ってきたので、楽しくおしゃべり。セビージャ出身ということもあり二人でセビジャーノを踊る。旅の締めくくりに僕が求め ていたものがここにはある。

明日ここを発ち日本に帰る。もう帰ってもいい時期だろう。2年の間日本を離れた放浪の旅のまとめは日本に帰ってから、写真をアップロードする際に頭を整理 する意味で書いていこうとおもう。この日記は非常に自己満足的 自己回帰的日記であるが、このたびの発見や経験を自己満足に留めないようにしようと思う。

2005/07/17

残り二日

今日は土曜日。すでに日曜日に日は変わっている。今日が観光や友人に会うという観点からすると最終日。なにしようかなぁーーー。 サグラダファミリアにもカサミラにもいってなかった。あっ お土産。。。各国を旅行するためバックパッカーになっていた僕のカバンに大きなものが入るスペースがなーーーーい。 お土産は旅のお話ということで。よろしくどうぞ。 

町をあるき、スペインの人々と話したり会話を聞いていたり、通りで人を見たりしていて気がつくこと。スペインにきてよかったなぁ。そして、大好きスペイン!

最終日は特にSpecialではない。この3ヶ月の毎日がすべてSpecialだ。んーーーいい言葉だな。 毎日はSpecialだ。楽しもう。 カサミラいかないと。ガウディガウディガーウディ♪

2005/07/16

LLANCA

LLANCAでの夜は、スイスの音楽団の教会での演奏で始まり、そこにはへスースの昔の彼女がその楽団にいて今もなお彼女が好きだというプチストーリーが あった。まぁ結局のところ、演奏が終わって20人近くのスイス人と共にきれいな海にいったのだが、彼の物語はあまり進展しなかったわけであるが。。。。

なにせ、暗くなるのが10時くらいなもんんだから、夜の海という表現はすでにAM1時位なわけである。へスースはこの海でライフガードの仕事をしているの で、翌日は朝からまた海へ。 ライフガードの集まりになんだか日本からのゲストということで参加してしまい、サルディーナ(カタルーニャ地方の踊り)を 踊っておいた。スペイン人本当に暖かい。おそらくへスースがいい奴だから周りの人々もその友人ということで暖かく接してくれているのだろう。そういう人々 のお互いの距離の近さが本当に心地よい。

昨日あった子供達は、この日も朝からへスース宅に集まりだして僕の名前に興味をもったらしく つとーむ つとーーむとうるさいくらいに叫んでくる。本当にかわいい子供達。子供らしい子供という感じ。

たった一日の滞在であったが、最後にはおばあちゃんが「電車で食べるものもっていきな!」と目が見えないにもかかわらずわざわざサンドイッチを作ってくれた。暖かいな。

LLANCA

LLANCAでの夜は、スイスの音楽団の教会での演奏で始まり、そこにはへスースの昔の彼女がその楽団にいて今もなお彼女が好きだというプチストーリーが あった。まぁ結局のところ、演奏が終わって20人近くのスイス人と共にきれいな海にいったのだが、彼の物語はあまり進展しなかったわけであるが。。。。

なにせ、暗くなるのが10時くらいなもんんだから、夜の海という表現はすでにAM1時位なわけである。へスースはこの海でライフガードの仕事をしているの で、翌日は朝からまた海へ。 ライフガードの集まりになんだか日本からのゲストということで参加してしまい、サルディーナ(カタルーニャ地方の踊り)を 踊っておいた。スペイン人本当に暖かい。おそらくへスースがいい奴だから周りの人々もその友人ということで暖かく接してくれているのだろう。そういう人々 のお互いの距離の近さが本当に心地よい。

昨日あった子供達は、この日も朝からへスース宅に集まりだして僕の名前に興味をもったらしく つとーむ つとーーむとうるさいくらいに叫んでくる。本当にかわいい子供達。子供らしい子供という感じ。

たった一日の滞在であったが、最後にはおばあちゃんが「電車で食べるものもっていきな!」と目が見えないにもかかわらずわざわざサンドイッチを作ってくれた。暖かいな。

2005/07/15

最後の訪問地 LLANCA

お金で買えない経験がここにはあった。以前電車であったスペイン人のヘス-スが僕を家に招待してくれた。以前にも一度訪問したが今回は是非一日泊まっていけというお誘い。 ということで、フランスとの国境から電車で15分のLLANCA(ヤンサと読む)に行って来た。

ここの水は水道水ながら最高にうまく、小さい町だがコスタブラバというエリアの一つでリゾート地として有名なのだ。とはいえ、電車は2時間に1回くらいし かここに止まらない。到着後、以前もあったAmigo達と再会。日本から梅がイタリアに来たときに持ってきてもらったお土産を渡して超感激された。ありが とう梅。一度彼の家に戻ろうということになりへスースのお母さんやおばあちゃんと再会。その直後裏の庭から子供が9人くらい出てきた。ラウラやアレックス 達・みーーんなかわいいスペインの子供達。

へスースのピアノが聞きたいということになり、子供達ピアノの前に群がる。そしてかかった曲は、なっなっなんと クレヨンしんちゃん とアニメ NARUTOの主題歌。 意味も分からないのだろうが、子供達が声をそろえて 歌の歌詞の一つ」「もう一回! もう一回!」とシャウトする光景に少し感激 した。 

一泊の旅だが、実はこの一日がとても奥が深い。ということで明日に続く。では。では。

2005/07/14

やっぱり良いねスペインは

いいねスペイン。 実はここに住んでいるときにはサグラダファミリア含むガウディさんの建築物の中に入っていなかったので今回は観光気分であっちこっち再度訪問。本日はカサバトヤ。大通りにあるこの家は最近中を見れるようになった。今後写真をアップ予定。その前にブダペストやらプラハやらの写真がたくさんある。

バルセロナの太陽を説明しよう。一言 白い!  太陽の下にいるとすべてが白くなるくらい日差しは強く危険度満載。僕のお肌もこげ茶色。
 
夜は2ヶ月ぶりにオランダ人の友人と夕食。 何でオランダ行かなかった?と怒られながらも楽しい日々。

2005/07/13

Berlin総括とバルセロナ

Berlinは新しい町だった。2006年のワールドカップに向けての準備で大忙し。ゲルマン民族はでかいなぁと思いながら毎日スナックでフランクフルト を食べた。そして最後に行ったユダヤMuseum。ユダヤ人というとどうしても戦争の際のホロコーストが取り上げられる中、古くからの彼らの芸術という観 点、改めてユダヤ教とはなにか?を前面に押し出し、非常に勉強になった。 何に驚いたって、あのクリームで有名なNIVEAはユダヤ人である一人の薬剤師 によって開発された製品で、今なおその中身は大きく変化していないなーんてすごくなーい?

ということで、昨日バルセロナに戻ってきた。Easyjetに乗って帰ってきたわけであるが、単なる安チケットサイトだと思っていたEasyjetは飛行 機会社だった。。。欧州でバリバリ飛んでいるので、欧州好きな人は当然しっている会社なのだろうが、僕には新鮮。 バルセロナに着いて一言。 やっぱりスペイン最高!   スペイン語は聞いていて心地良いし、人々はいい感じ。 ホストマザーのビルへ二アさん宅に戻って、学生と共に5人暮らしの始まり。 2ヶ月前に一緒にこ こに暮らしていたドイツ人のコルディちゃんとも再会。 いろいろ見て回った後のバルセロナは、住んでいたときと少し違う雰囲気。。何が?
あっちーーー。めちゃくちゃあっちーー。

2005/07/12

Berlin

I have stayed in Berlin for 3 days. Today is my last day here and I am going back to Barcelona tomorrow. Because there is one of the most famous character whose name is " Broken Jr." in the manga" Kinnikuman", I came here to meet him. However, he is not in Berlin. I think he is in Japan now. It is so sad. As you know, I gave up on going to Greece. My purpose for going to Greece was to meet " Saint Seiya". I think he is also in Japan. Jajaja.

Berlin was totally destoyed like Tokyo during the second world war . I saw some pics taken after that war at the exhibition displayed in front of "Brandenburger tor". Arround "Brandenburger tor" there was nothing in those pics. After the war, Berlin was separated and the wall was built . you know that. Yesterday I went to look around the area where there used to be "the Wall." I saw a long line from north to south. There are a lot of new builing around Potsdamer plaza and one of them is "Sony Center." Here is one of the hottest spot in Berlin. Today I went to Jewish museum. I want you to see my pics because I cannot say anything about that.

I don't know why a lot of tourists ask me about directions. Spanish, French,or American. In Tokyo I was asked a lot. Por que?

Anyway, I am going back to my third hometown " Barcelona." The host family has offered me to stay their house and my germany friend has allowed me to share her room. It must be really fun. I know about Barcelona a lot.

2005/07/08

Praha Day-2/Day-3

雨は冷たいけど濡れていたいの♪ 小泉今日子のこの曲から始まるDay2は雨。やまない雨は無いが、曇らない晴れも無い。ってことで、雨の中あっちコッチ傘もささず行ってきました。が、これから雨のDay3を散策しないと。 Sevillaに比べれたココはめちゃくちゃ寒い。 カフカー ゴーレムーー。

Day-2 カレル橋の反対側のエリアを散策。ブダペストの王宮の地下迷宮らしきものがあると知り、歩いて山の上までいくも、子供だましの鏡ばり迷路。。。。50クラウン(180円位かな)を払う価値もないかなと説明を良く観てみると、19世紀終わりに作られたという当時は話題だった場所だという。うーーん。。どうだろう。 有名な観光名所はこの日で見終わったので、明日からは”自分が見たい場所!”へ行こうと思う。 夜の散策に出かけ、どんな世界かなぁーと歩き回るもドラッグのバイヤーとビール瓶片手のアメリカ人の軍団を多く見かけた位。Undergroundな場所にこそ凄いものが眠っているのだろう。

Day-3 東欧を巡るのにナチスのユダヤ人迫害とソ連占領時代の共産主義は避けて通れない。という事で、ユダヤ人街でMuseumやお墓めぐり。中でもゴーレムの作家ラビやカフカのお墓は有名な場所だ。このお墓のある横の建物に入って大変驚いた。建物の壁全面に、黒、赤、黄色オレンジといった色で亡くなった人々の名前が羅列してある。その数数万。ナチス支配下での強制移住およびホロコーストによって94000人いた人々で生き残ったのは10000人程度との説明。
そういえば、Supermarketにいって色々なものの価格を調査してみた。何せ、街でも飛んでもなく物価が安いので気になっていたのだ。例えば、Pizzaが90クラウン。リップクリームが12クラウン。おいしいローススビーフとスープで180クラウン。マルボロが57クラウン。 130円を1EUROとして1Euroが30クラウンと考えて計算してみてもらいたい。しかし、海外のもの例えば靴などは普通に1600クラウンとかする。Euro通貨に統合できない理由がここにあるのだろうか。 ちなみにここプラハは自殺率は高い。

Budapest総括とPraha Day-1

一つの都市を見たからといってその国を評価するべきではないけど、いい意味でハンガリーは面白い。そして治安良く物価安く飯旨い。さらに言えば、この街は何で?というほどノーブラの人が多い。其れはどうでもよくて、この街では過去と現在を同時に見る事が出来たと思える。以上総括。

Budapestから電車で7時間。途中スロバキアの首都プラチラスヴァを経由してチェコのプラハに到着。10:10に出てついたのが17:30くらいだったかな。市の中心からちょいと離れた駅に着くも、この国に関してだけはGuide mapも触れていないので自分で歩いて情報収集しかない。といえどもここどこ?という感じからStart。 ホテル発見、地図GETでまずは散策。知らず知らずに一応の観光名所を歩いてしまった。いくら天邪鬼といえど人の流れる方向に一緒に行っているのはショウガナイ。橋の銅像野中で蛙がいて其れを触れば幸せになるというので探したが蛙がいない。その代わりにピカピカになっている場所を見つけたのでお願い事をしてみた。(そもそも蛙じゃない)

長年プラハに来たいと期待を膨らませてやってきたこの街は、期待以上に整備された非常に美しい町並み。歴史を把握して明日から価値ある散歩にしようと思う。

ハンガリーもチェコもEU参加国であるが、独自の通貨を使用している。街にはいたるところに両替所があるが、この6日間で為替の変動やよくないRateでの両替を実施して結構損している。証券と為替は連動しているとある人が言っていたが証券はわかっても為替は苦手。。。というか訳分らん。。SellとBuyでたまに混乱して損している。

2005/07/07

Budapest Day-4(Special!!)

忘れられない一日の日記は最後まで読んでもらいたい。
温泉で本当に長旅の疲れを癒しているここBudapest最後日は、昨日いけなかった”The house of terror”。ココは英雄広場へのアンドラッシー通りにある。ハンガリー政府のサポートで現在は観光の場所になっている。ハンガリーは復興において現在観光業に力を入れていて町中いたるところに歴史博物館や美術館があるが、僕的にはココがもっと有名になってもいいのではないかと思った場所である。
映像で振り返る第2次世界大戦の映像コーナーでは、ホロコーストの悲惨な映像が流され、焼かれた人々やガスで殺された人々がブルドーザーでまるで土でも運ぶかのようにまとめて手前の穴に押し込まれていた。。。。地下には、当時共産主義に反対する人々のための牢獄があり、中を見る事が可能。半畳ほどの部屋で床から10cmほど水が張られ中心部に突起物がある牢獄、人間一人立てるほどの広さの牢獄など。そしてそれぞれの牢獄で無くなった人々の写真。なんとも言えぬ気持ちになり鳥肌がそこにいる間中立っていた。 (ここから大きく一日が動き出す)

気分一新、初日いけなかったセーチェ二温泉へいくも綺麗で大きいが温泉の温度が38度とぬるい。ということで、トルコ占領時代から存在しているという500年の歴史を持つキラリー温泉へ。ココは、日替わりで男性Dayと女性Dayがある。丁度雨も降り出したので温泉温泉と喜び勇んでいく。水着に着替えてまずはシャワーとシャワー室に行くと大男が二人僕を見つめるくる。ナンだ?アジア人珍しいのかな? 笑顔でハローーハローー愛嬌振りまきながら、温泉へ。中に入るとでかいホールが。円形になっているので、端からつかろうとするとここでもまた色々な人からの視線。と、1人の叔父さんが睨む様にじっと僕を見つめながら風呂の中で僕の前を横切る。まぁ笑顔で返すと何だか笑顔になって近寄ってきて自己紹介をしてきた。ハンガリー人の医者だそうだ。ふーーんなるほどなるほどなどと関心していると、体を近づけてきた。そしてなっ!なんと!いきなり 体を触ってきた!!!!!!! なんだ???? NO!!!!!。。。

なんとなくこの状況を冷静に考えてみた。今日は男専用。そして先ほど受けた視線と今感じている周りからの視線。。知っている。僕はサンフランシスコのカストロ通りで感じた事がある視線だ。。。そう。ここは虹色天国Gayのコミュニティーなのだ。アジア人のあそこが小さいだのなんだのと言って来るので、逃げるようにサウナへ。おい!ソッチは危険だぞ!と頭の中で警告を発信した時には、既におそく扉開けしまい、みてはいけないものを観てしまった。。風呂にアジア人が二人いたので日本人かなと話しかけようにも、どうやらこの二人は既に知っていて来ている様子なので声かけれなかった。。。。。この360度から狙われている視線の中では行き場所が無いので、入場10分にして退場。ロッカールームの人にも何だか色々言われたがぼくの頭は錯乱状態だった。ふーーーまぁBudapestでは色々勉強になった。Going somewhere without knowing is sometimes dangerous. あはは。

2005/07/06

Budapest Day-3

Day3-- この日の僕の目的はユダヤ教会に行く事。これまで色々なユダヤ人の人々に会ったり、本を読んだりしたが彼らの教会というのを見た事が無いので興味津々。到着した教会には、あの三角と逆三角が組み合わさったマークがあり、入場する際にあの独特の帽子を頭の後ろにちょこんと乗せなければならなかった。非常に興奮したシーンだ。この教会の横にはMuseumがあると行った場所は間違ってしまいお墓だった。ココで僕は鉄でできた木を見つける。この木には鉄の葉っぱがついており、その一枚一枚にアウシュビッツでに送還され殺された人々の名前が掘ってある。またMuseumには、ホロコーストの現場などの写真やその当時彼らが着せられたという服などが展示されていた。色々観て回ったのだが、朝のユダヤ教会で受けた衝撃を引きづった1日であった。その日の疲れを癒そうと向かった温泉は、Gellert温泉というホテルの中にある素敵な場所。これが温泉かという洋式な温泉。

Budapest in Hungary Day-1 & Day-2

ハンガリーはトルコに占領されていたり、ハプスブルグ家繁栄の時代にはオーストリアと一緒だったり、第二次世界大戦中はドイツの傘下に入り、大戦後はソ連に占領され1989年まで共産主義国だった国だ。温泉街として有名であると共に、ブダとペストという川を挟んだ町並みは「ドナウの薔薇」と呼ばれ川沿いは僕の大好きな言葉である”世界遺産”だ。数々の国の支配下に置かれたこの国は、崩壊と再興を繰りかえし、至る所の建物に鉄砲で攻撃された穴があり、今尚戦後の復興を感じさせる

Day1--ブダペストのケレティ駅にはVienne(Wien)から3時間で到着。電車内では、3回以上もパスポポートチェックがあったりと結構大変だ。なんたって、スロバキアを経由するもんだから。まずは、散歩。世界遺産に登録されている大通りを通って英雄広場へ。嘗てココのエリアにはナチスが本部を置いたという。歴史ある古い建物が並ぶとおりを進むと、英雄広場に到着。このの近くにはペスト側最大のセーチェ二温泉があるということで行ってみたものの、海水パンツとタオルをもっていないためピックアップしにホテルへ戻る。ピックアップ終了後、ブダ側の温泉に行くも閉鎖中。別の場所に行くも17時でClose. 温泉にはいれねぇーーーー。 
Day2- 昨日風呂に入れなかったので, 朝からLukacs温泉へ、その後ブダ側の丘の上の王宮などを観光。教会や建築物は何世紀にも渡る破壊に新たな建築様式での立て直しのため大変複雑な見た目になっている。この街で一日を過ごしたのだが、なんといっても500年前に作られたという王宮地下迷路が僕を魅了してやまなかった。ランプを借りて小一時間迷宮を探索。是非このWEB観てくださいな。http://www.labirintus.com <-- Please check it out!

2005/07/02

60枚・・・

60枚もアップしてしまいました。 My photoから”2?Italy” ”3?Austria"をクリックしてください。実際はこの7倍くらいありますがね。

宮違い

本日も大雨。。。。気圧が下がると頭が痛いのは前から。。。過去の首に障害から来る持つ僕の持病。
宮殿に行く前に、僕のWienでの見ものである「Kunst house」を観に行った。現在ギャラリーとなっているその建物自体も彼の作品である。非常にカラフルで工場などのデザインなどを手がけた彼の作品はドイツに多く全部で30作品を残して世を去った。http://www1.kunsthauswien.com/ ココ参照の事。 

雨もなんのそので、いよいよ世界遺産の宮殿にお邪魔!と電車にものらずに歩いてその場所へ。庭に入ってネプチューンの泉を探すも見つからず、今はどの辺りかと地図を見るも何だか様子が変。宮殿。。。地図を再確認。。王宮。。。 宮殿?王宮? 違う。ここは宮殿ではない。と時計を見ると16:45. ここから電車で4KMの先の宮殿まで20分はかかるが1645には入館していないと無理なようで結局宮殿は諦めた。 今日はカツレツを食べに入った店がCUBA料理の店でカツレツある訳もなく間違いだらけの一日。長旅で疲労か?

大雨のため早めにホテルに帰り計画をねる。アメフトの先輩からアウシュビッツへ行くという提案を受けたがプラハからさらに東へ行くのはPlan上危険という事で断念。その代わりに新しいアイディアを考えた。ベルリン。そう、プラハからベルリンまでは5時間の電車と短い。そしてそこからのバルサへのAirも安い。どうやらこのプランでいけそうだ。ドイツ人の友達から情報集中。

自分のPCつなげる機会は余り無いだろうから、写真を超大量アップ。イタリアの旅から選んだ。

2005/07/01

行きはよいよい帰りは怖い

通りゃんせ 通りゃんせ こーこはどーこの細道だーと歌うこの歌少し怖いんだよな。夜眠れ無かった記憶がある。映画もあった。行きはよいよい帰りが怖い。。。僕の旅がまさにそれ。バルセロナから南にいって、飛行機でミラノに飛びイタリアを北から南へドバーーと下ったかと思えばそこから、北の反対側へ。そこから北東に上がってWien.これからさらに東やら北やらへ進むわけである。しかし、今後のPlanを検討するに当たり大変な事に気ガついた。、プラハまで行ってしまうと、バルセロナに帰るのがとんでもなく大変なことになりそうだ。まぁすでにWienからでも大変なのだが。電車だと数十時間。飛行機は激高で基本ダイレクト便なし。 
::僕の中に巣食っている冒険野郎が叫んでいる。:::
電車でアルプスとか越えてみちゃう? この際だから一泊ずつスイスのチューリッヒやフランスのどっかに泊ってみちゃう?いっちゃえよ。9日から12日くらいまで電車乗り継いじゃえよ。。。
実はExpedia.comで飛行機を見つけたのだ。WienからMadridでも予約プロセスの最後になってE-チケットでないため紙を送付するための米国での住所を教えろときた。よって頭にきて削除。其れ最初からいえよなーーー。

今日の出来事書こう。世界三大美術館の一つといわれている(色々説はあるが)美術史美術館にお邪魔。絵は自分にとって価値あるものを一つでも見つけれればいいなぁと考えながらジュゼッぺさんの絵に思わず立ち止まる。モーツアルトの像の写真を公園で撮っていたら3年使用したオークリーのグラサンを失くし、その代わりに別のグラサンを即購入。。(初の高額な買い物) Wienの新たな名所という、MQ(Music quater)を見学中に豪雨にあいしばし足止め。自殺率EU第二位の国とはいえ、Wienは街が綺麗だし、食事も様々な料理がある。そして、観光客慣れのせいもあって人もいい。Ciao!で入ってきて英語で会話してGracias!で去る変な僕に非常に親切に対応してくれる。ドイツ語は無理だ。。何にも頭に入ってこない。Danke.だけで終りますな。明日はハプスブルグ家の嘗ての宮殿遊び行ってくる。