2005/05/31

フラメンコ

繁華街に人がいない月曜日。マッシモの作るカルボナーラを食べたのち、街へくり出した。Fiestaというわけではなく、フラメンコを見に行く目的だ。初日に、カルボネリアと呼ばれるこの街で有名な場所にいったのだが、有名なのは観光客が多いことでものすごい感動を得ることができなかった。ということで、川を越えた旧ユダヤ人街を抜けてかつてジプシーが住んでいたという場所に行った。小さな場所で夜12時半から始まるショーの客は僕らと他3人ほど。この街には隠れ家的なフラメンコを聞ける場所があるとは聞いていたが、こういう場所なのだろう。

そういえば、先週白い村を訪問した後、闘牛を見に行った。おおお!闘牛だーーと興奮して闇市でゲットした格安価格で入ったものの、目の前で牛を串刺しにする光景に牛2頭分の戦いを見て闘牛場を出た。首の付け根からだらだら血を出しながらも何度も立ち上がる牛とその攻撃をかわしながらぼこぼこ刺していく様を僕は見ていられなかった。ちなみに、カタルーニャ地方のバルセロナでは闘牛は現在閉鎖されている。そのうち、この国自体で闘牛を止めようという動きもあるようだ。一日に6頭が殺され、過去25年でマタドール(ひらひら交わす人)が1人 ピカドール(槍をぶすぶすさす人)が3人が死亡。牛の死亡数と比較すれば割が合わないか。。。。

この街は舞台劇カルメンで有名だから、カルメンツアーなるものが存在する。スペインの歴史とあわせながらタバコ工場で働くカルメンの生涯を実在する建物を巡りながら説明を聞くというツアーに参加してみた。お金は払いたい分どうぞというこのツアー英語の説明でわかりやすいのでお勧めだ。

2005/05/30

パルミジャーナ

典型的なイタリア人とはどういう人だろう。僕の中では、プレイボーイというよりもいつも女を見ているという印象がある。マッシモはその典型的なイタリア人といえるのだが、本日あったアレハンドロはもっとすごい。自己紹介もほどほどに目は通りを歩いている女性を追っている。少し話したかと思うと、「あの女性はきれいだ」「あの女性は一人で歩いている」だの。最高に面白い。

彼はパルマ地方出身ということで、チーズパルミジャーナについて聞いてみた。パルマに住んでいる人をパルミジャーナというのだが、どうやらパルマとその隣の町は仲が悪い。アルジャーナとかいったかな。だから、パルマ出身だからといってパルミジャーナの話をするとたとえチーズの話でも、俺はパルミジャーナじゃない!なんて会話になる。チーズはパルマかもしれないが、俺は嫌いだ!!!!なんて。

イタリア人同士が話していると、スペイン語と似ている部分があるのでたまに何を話しているか理解できる。イタリアが呼んでいる。イタリアに行ったら、スペイン語を話してみようと思う。英語よりも通じるかもしれないかな。、。。

ピカピカお肌

イタリア人のマッシモと二人で日焼けで赤くなった肌のためのクリームを購入。イタリア人の作るイタリア料理を食べたいという僕の希望で、レストランで働いていたというマッシモにアマトリチアーナつくってもらう。大事なのはベーコンのクオリティとどのパスタを使うか。出来上がった作品は、家庭的かつ絶妙のアルデンテで最高。トリノに住むということで、来月イタリアに行く際に訪問することになった。

食後は日焼けした肌を癒すためにクリームを塗ることにしたのだ、これが今日一番の話題となる。フランスはリオン出身の最高に面白いデイビッドを交えて、3人でクリームを塗ったのだが、なんだかおかしい。3人とも顔から体からなんだか見た目変なのだ。いい匂いだからと買ったニベアなのだが、このクリームはなんだろうか?と読めないスペイン語を3人で解読してみた。

最高の匂いときらきらしたラメであなたの体をシルクのようにします。。。。。。

体をよーく見てみると、なんだか銀粉のようなものがきらきら。。。。叶姉妹がつけていたような、あのきらびやかな雰囲気。女性もののクリームを買ってしまったようで、3人ともてかてかしてちょっと気もい。

2005/05/29

Pueblo Blanco

先週木曜日に、プエブロブランコに行ってきた。なに?とわからない人も多いと思うが、白い村という表現をすればわかるだろうか。アルコスデラフロンテーラというシェリーで有名な町から、東へ行ったところの多くの村が白い村と呼ばれる有名なエリア。
ここは、ユダヤ教の人々が、大都市から逃れて表面的にはクリスチャンという傍ら、実際はユダヤ教信者として生活していた場所だという。あまりにも暑いために、壁を白くしているというとおり、暑い暑い。

土曜日は、友人とともにバスで1時間ほどの場所にある海へ。クリームも塗らずに僕とイタリア人ははしゃぎすぎて本日日曜日は二人して体が痛い。。。。シモねたにフランスはリオン出身のデイビッドも参加してきて、もしかしたら3人でコルドバやグラナダに行くことになるかもしれない。2人とも僕の精錬された高等なギャグにしっかりと返しをしてくるので、最高だ。

日焼けはクリーム塗ろう。

2005/05/25

暑すぎるぞ。

学校がはじめって3日がたった。この学校は小さくて、生徒の人数も40名と少ないので、すぐ知り合いになってしまう。今は、イタリア人やフランス人、オランダ人、スイス人の男軍団と、イギリス人やドイツ人とつるんでいる。この町を留学先に選ぶ人々は暑い場所好きののりのりな人々でかなり面白い。僕のシモネタタ相手はイタリア人のマッシモだ。

セビーヤは暑すぎる。夜で26度。夜10時まで沈まない太陽の中では、子供も元気に11時ごろまで遊んでいる。多分日中は体感35度くらいか。食べ物は、こってりとしているので気をつけないと尿管結石がでるかも。

何とかフロンテーラという町を先輩が薦めてくれたので近々いくつもりだ。この町で、今なお残るシエスタの習慣。この暑さならわかる気がする。暑すぎて夜はばてばてだ。。あはっはっはっはっは。

2005/05/23

セビーヤ到着

寝台特急は響きがいいが、その実際はかなりエグい。現実はずいぶんと違うもんだった。夜10時の出発間まで、オランダ人のヘレンちゃんと時間つぶし。彼女は、こちらでインターンシップをやっており、スペイン語も英語もぺらぺらだ。悔しいが、すごい! 10時の出発でお別れをして、いざ電車に乗りこむ。11時間の旅の連れはどんな人だろうかと、列車に乗り込むと、早くも先客。50代のスペイン人。セビーヤ出身でフラメンコ暦40年。別途は4つ。出発後のタラゴナという駅から、これまたスペイン人2人が乗り込んできて、小さな部屋でスペイン語談話。あーー俺スペイン語しゃべっているーーーー。と感動しつつも、75%は理解不能。。

気が付けば、0時。みんな寝るような雰囲気だ。 よし寝ようと思って10分後。。。悪夢だ。 この小さな部屋が2人のイビキが交互に襲ってきて、年中無休のいびき地獄。あと何時間?あと9時間。。。。
枕で頭をくるんで、Ipodで耳をふさいでも、耳の中でいびき。。。。。最後に時計を見たのが4時位。それから1時間くらいごろごろして、眠りについて、気が付けばセビリヤに到着。

ホームステイ先に到着後、少しセビリヤを探索。といっても町は日曜日でどこもお休み。大きな聖堂や、スペイン広場などは開いていて、土地感を得ようと歩いてみた。バルセロナよりは危なくないというものの油断は禁物だろう。この町は小さいけど、面白いものがいっぱい詰まっている感じだ。ホームステイ先には、9歳のアントニオ君。あーーー言葉がわからん。。

2005/05/21

寝台特急

セビーヤへは本日22時にバルセロナのサンツ駅から経つ予定。11時間の旅なので、ベット席を取った。イタリアやギリシャには電車で行きたいなぁと思っている。南仏のどこかの駅で降りてもいいかなぁなんて思っている。これって、沢木さんの寝台特急に似ているのだろうか。彼の場合は、アジアからヨーロッパに入ったんだっけな。日本に帰ったら、ドンキホーテと寝台特急を読みたい。

ヨーロッパへの興味は、河童の見たヨーロッパという本から得た。この本は文章も手書きそのままで記載されていて、様々な国の様々な風景も描かれていて、本自体がヨーロッパっぽいなぁと思った本だ。帰ったらもう一度読んでみよう。

友人のメールに、成熟したヨーロッパというような表現があった。そう、きっとこの国はもうお爺ちゃんなのだろう。年をとると、安定したのどかな生活を求める。だからいろいろなものがゆっくり。日本はきっと40歳くらいなのだろう。ちょっと疲れたけどでもまだがんばらないと。アメリカは、20歳の若者かな。時たま切れて喧嘩を吹っかけるあたり。そして中国。この国は、輪廻転生を4000年の間繰り返し、いよいよ改めて赤ちゃんとして生まれ成長していくというところだろうか。まぁ、よく分からん例えだがまぁこんな感じでゆっくりとした時間をスペインで過ごし、再起動して日本で働こう。

シルクドソレイル

シルクドソレイルのショーを観に友人含め4人で行って来た。ラスベガスの「O」ショーを観てからというものすっかり虜にさせられてしまいバルセロナでやっているのも知っていたので迷わずチケットゲット。こちらで開催しているショーは「Dralion」というドラゴンをメインキャラにしたショーでラスベガスとはまた違ったコンセプトで120%楽しめた。中国雑技団からも人を雇っているのだろう。アジア人が見せる凄技に感動。なお、2005年春に始まったシルクの新いコンセプトのショーは10月頃にサンフランシスコで上演するという事だから、sfの友人には是非行って貰いたい。

昨日は最後の夕食会という形で、同じクラスの仲間ほかこちらで仕事をしているオランダ人やイタリア人総勢10名が集まって食事。といっても男は僕だけ。。。。両手に花といっても、各国から濃いキャラクターが集まって、イタリアンアクセントの英語でまくし立てられるとさすがの僕も萎縮。

学校というのは、始まって最初に仲間になった人々というのが一番親しくなりやすい。そりゃ、みんな寂しいなぁと思っている中で初めて知り合う人々だからそうなる訳なのだが、一言で言うといい体験が出来た。これでオランダにも遊びにいける。ちなみに、オランダ人の女友達二人は身長175cm。明日からセビーヤ。2週間スペインの家族のお世話になる。ネット接続はいつになるだろうか。。。。

2005/05/18

どこ行くか決めた!

少しお水の話。 ここバルセロナの水道のお水はのめるが少し臭い。そして雨があまり降らないので、水道水の出しっぱなしは良しとされていないようだ。 でも先週いったLLANCAのお水はびっくりするほどうまい。これ水道水?ときいたらヘススはキラキラした目で「ここのお水はおいしいんだ!」といっていた。そして山に囲まれて海に近いこの町には水が豊富にあるようだ。

今日学校のオフィスにいった。学校をトランスファーするためなのだが、その扉に入るまで、マラガかセビーヤを迷っていた。7対3でマラガだったのだが、、、、、セビーヤに行くことにした!今週末セビーヤに向けて電車でたつ!そして2週間ほど現地で学校に行くのだ!そんでもって、マラガには日焼けしに行ってきます。グラナダ、ゴルドバをまわって イタリアかな。

なぜセビーヤか。。フラメンコや闘牛の本拠地というのもあるが、歴史のある街だからという言葉が最適だろう。マラガのような観光地でスペインを知るというのが難しいだろうが、セビーヤには、フラメンコ発祥の地だけあって悲しみや情熱や様々なものが圧縮されていると感じている。それを肌で感じることが出来たら、人生にとって価値があるだろうと思っている。人に自慢するものではなく、自分の価値観のために。

2005/05/17

バルセロナ最後の週末

ここバルセロナでの最後の週末はFCバルセロナのリーグ優勝というBig newsから始まり、町では連日Fiesta fiesta! 石の具合がよくなってきたとはいえ、お酒が飲めない体なので太陽の出ている間の活動のみで終えている。まぁ9時半まで太陽かんかん照りなので、夕方6時でも日焼けできる有様。

ハウスメイトと共に歩いて歩いてモンジュイックの丘へ。Mi madreということでお水を買いなさいだとか、飲みなさいとかトイレ行きなさいなどいろいろだがとても面白い女の子だ。18時から広場でサルダーナと呼ばれるここカタルーニャ地方特有の踊りが毎週あるということで観に行ってみた。18時からというものの18時半になってようやく始まったその踊りは、年配の方々が真剣にでも踊り自体はかわいく、踊りたい人は輪に加わればいいというもの。どんどん輪は大きくなり約30分を経て終了。踊りたい気持ちもあったが、カタルーナの人々が大事にしているものを、そう簡単に旅行者が参加していいという雰囲気でもないのでやめておいた。

スペイン語だが、まぁ英語とあわせてSpanglishのような形で暮らしている。マラガをやめてセビーヤにいこうかなと検討中。セビーヤはアンダルシア地方第1の都市でフラメンコと闘牛の本場だ!

2005/05/15

独りウルルン滞在記

今日は最高の日だった。まさにお金に返られない経験を得た。友人と共に行くはずだったダリ生誕の地「フィゲレス」。ここにこの周辺にあるダリミュージアムの一つがある。先週電車であった日本に興味のある18歳の若者JESUS君と待ち合わせをして単独フィゲレスへ。ダリミュージアムの前で2時間後に待ち合わせをして、ダリ美術館へヘスス君も強引に誘って入る。

ダリ美術館の写真は後日アップする予定だが、その後ご飯のお誘いを彼の内で食べようということでフェゲレスから20分ほど電車で北上したところにある自然に囲まれた町LLANCAを訪問。周りは山と海に囲まれたきれいな町で間違いなく観光客はほとんどいないといえる町だった。先週彼のお母さんにも会っていたので、自宅に気持ちよく迎え入れられ少し遅めのお昼をいただく。ここで食べたスペインのソーセージ「サンチチョン」の味が忘れられない。彼の家には、スペインで実際に使われていたといわれる本物の刀が日本刀のように飾られ、ブルースリーが大好きでヌンチャクがおいてあった。家の前の林の前でヌンチャク披露されたが、これが本当にすごい。自分が試して頭にゴンとあたったときは死ぬかと思った。 こちらも太極拳やタップダンスを披露しその後、彼の友人宅へ。こちらでは、突撃訪問が当然だそうでもちろん突撃訪問。これまた、Amigas、Amigoはミーンナ日本の何かしらに興味があるのだが、少しシャイですごい気を使ってくれていたのが分かった。いつの間にやらスペインの人々に囲まれて、6人でワイワイ近くのビーチへ。そこには小さな町に広がる見たことも無い絶景が広がり、観光客としてだけでは味わえない興奮を味わうことが出来た。みんなで小さな町の小さなかわいい駅に見送りに来てくれて、かなり感激している。毎日が最高だが、今日は最高だ。

2005/05/14

色は関係ねぇな

本日金曜日はスウェーデン人のクラスメート主催のHomepartyに参加。今日はお酒を飲まないと決め手の参加でお水。幸いドクタースマが僕の横にいてしっかり監視しているので大丈夫だった。ドイツ人、オランダ人、イタリア人、オーストリア人、スイス人、アメリカ人、フランス人、イギリス人と並べたら今まで会ったことの無い国の人も結構いた。

こちらに来て僕の固定観念が大きく変わりはじめている。正直僕はアメリカの白人が好きではない。もちろんすべての白人のことをそう思っている訳ではないというのが大前提。こちらに来て、回りにいる多くの人は白人で、頭の中ではアメリカでの白人への僕的バイアスがあってそいつがなんとなく心のどこかで斜に構えていたような感がある。でも、一重に白人といってもヨーロッパの人々とアメリカ人はぜんぜん違うなぁと思う事を本当にいろいろ経験できている。「そんなの当たり前」と思う人がいるだろうし、アメリカ人最高という人もいると思うのでこれは僕的意見ということであるのだが。僕的には、ここに来て初めて一般的に呼ばれる『白人』と呼ばれる人々と共に互いに人間として接することが出来た。心のぬくもりを感じるというのだろうか。とにかく暖かい。カタルーニャの人々はというと、あまり多くの人に知り合う機会が無いのだが、日本人に似ているかなと思う。見た目保守的だが中に入ると暖かいというような感じ。ホストママは間違いなく面白い。でもワイン飲んで運転してはいけません! あぶねぇってば!

先輩が言っていた言葉を思い出す「ヨーロッパでは間違いなく僕らは国外からの人とわかる分、アメリカとは違った経験ができるよ!」 なるほどなぁー来て見るもんだな。と思う今日この頃。僕は本当にスペインにいるのだ。未だに信じられないが、いい経験だ。

明日は一人でダリ美術館へ。現地で先日知り合ったスペイン人のJesusと落ち合う予定。

2005/05/13

Tango

Tango&Sonを見に行った。タンゴといっても踊りではなくミニコンサート。出発5分前になって30分前にいたお母さんがいない。。どこいった?と息子のデビッドに聞いたところ「寝ている」。。。。。夜9時前にシエスタかよ!  足をくすぐって起こして、ドイツ人のハウスメイトで僕の母親がわりにいつも「務水のみなさい!」 「それは水?コーヒーでしょ。私は責任持ちませんよ!」といってくれる23歳のコーディーちゃんと4人でコンサートへ。タンゴはアルゼンチンだということは知っているが、ソンとはなにか?と気になった。コンサート終了後の隣のバルでのシンガーやミュージシャン交えたスペイン人の人々の小さなでも騒がしい打ち上げで、僕のつたないスペイン語で主催者に聞いてみた。ソンとはキューバの音楽でサルサのリズムにも似た非常に興味深い音楽である。ワイワイガヤガヤウィスキーのショットを「乾杯!」を様々な国の言葉やカタルーニャンでいいながら、尿管結石上等とばかりに飲んだ。隣のコーディーさんににらまれながらも。。。。。

2005/05/11

写真アップ

鋸山という名前をもつ「モンセラート」とスペインでも一番美しい石畳の旧市街をもつと観光ガイドに書いてある「ジローナ」の写真をアップ。モンセラートの黒いマリア像は有名。スペインをご堪能あれ。来週は少しバルセロナを探索し、ダリ美術館に行く予定。

ホストママに心配をかけているが、何とか石と仲良く生きている。石は僕の体の一部。一週間もすれば尿と一緒に出てくるでしょう。病気の中でもベスト3に入る激痛といわれる尿管結石、そして、ワースト3に入るほど大した事無い病気尿管結石。山椒は小粒でぴりりと辛い。僕のモットーと似ているこの尿管結石をスペインで堪能するとは。これまた粋でイナセだねーー。

2005/05/10

フラメンコ

石が痛いにもかかわらず、ホストママとのスペイン語TALKとともに、二人でタップダンスとフラメンコの練習。 ホストファミリーのママは、フラメンコの本場バレンシア地方の中でもセビーヤ地方の出身なのでフラメンコもタンゴも踊れる。ってことで、本場バレンシアに行く前に少しフラメンコの事前知識を習得しておこう。
なんとなしにやっている、踊りだって なんとなく呼んでいるマンガだって、何だって会話の種にはなるしそこから広がる話題っているのがあるんだなぁと最近思っている。 何からだって学ぶことはある。ヘボイ上司からだって、こういう風になったら人は自分をヘボイと思うのだと学べる、、、時もあるのかなぁ。

腎臓痛いので寝ます。9回目だか10回目だかの陣痛ならぬ腎痛には、正直慣れてしまったのだ。まぁ痛み止め錠剤も座薬もあるのでご心配なく。

岩山からもらった石

土曜日は岩山の中ほどにある修道院にある黒いマリア像で有名なモンセラート 日曜日は古都で有名なジローナを友人と訪れた。写真は明日にでも自分のpcを使ってアップ予定。 どちらも観光名所でバルセロナから1時間くらい電車で行ったところにある。
ジローナに向かう途中で面白い体験をした。電車に乗りこんで座った際のこと。一つ前の席に座っている若者の背中に「欠」の文字。あー漢字だーくらいに思って暫く乗っているとその若者の読んでいる本を見てびっくり。「カタカナ」の練習本だ。小学生の頃ならった、カタカナの書き順が4マスの中に書かれているというアレ。 向かいに座っているお母さんらしき人が、僕に気がついて微笑んだので日本から来たことを伝え、以降一時間弱の間友人のアメリカ人と2人で片言のスペイン語と英語で会話。何でも、日本のアニメが好きなのとアジアの文化に興味があるとの事で今は指圧の勉強をしているとの事。

実は、ジローナに行った際にそこから30分電車で北に行ったところにある「フィゲレス」のダリ美術館に行く予定だったのだが、発車時間に反対のホームで電車を待ち乗り損ねてしまい行けなかったのだ。よって来週末にも改めてオランダ人の友人も誘っていくことになった。 電車であったJesus(ヘスス)という若者はバルセロナではなくジローナ周辺に住んでいることもあって会える機会があると思う。

月曜日の夜、、、、腎臓が痛い。尿管結石君が頭を出したみたいだ。バルセロナの太陽で溶かしてみせる。 サンフランの友人たちは今頃どうしているのだろう。日本のみんなはどうしているだろうか。僕はアメリカ人のスマちゃんがお医者さんなので、心配しないでもらいたい。いつも心に太陽を!

2005/05/07

久しぶりの日本語

一人で旧市街地にてウィンドウショッピングをしている時のこと。ふと耳に聞きなれた言語が入ってくる。「あっ日本語だ!」と振り返ると、相手の女性二人もわかったらしく「コンチニハー」と挨拶。暫く3人で立ち話。こちらに3年以上すんでいる方だそうで、バルセロナの情報を教えてもらった。「僕アメリカよりスペインの方が居心地いいんですよ」という言葉に間髪要れずに「それっぽい顔しているもの」ってどんな顔かわからんが、15分ほど喋って旨いすし屋情報をGET! 僕が興味なくても、イタリア人やオランダ人の友達は一緒に寿司に行きたがっているのでこれはこれで僕の仕事。

花の金曜日ということで、仲間で食事をいただいた後軽く子洒落たお食事&バーのお店へ。と1時間もたたぬうちに、どんどんと席がなくなって入り口に行列ができる程のダンスCLUBになってしまった。金曜だけは夜2時まで電車があるということで久々に「クラブ活動」。30歳になっても頭の中はガキなので、ブレイクダンス踊ったりなどしてしまった。まぁ年は関係ないか。明日はのこぎりの形をした岩山の途中にある「モンセラート」だから、早起き。

2005/05/04

バルセロナはスペインにあらず!

バルセロナはスペインにあらず!は僕の先輩の友人でスペインをよく知る方のメールのキーワードだ。この方のこの言葉の裏には、レコンキスタの出発の地、北西のバスクやスペインといえばこの物語パンチョやロシナンテの登場する「ドンキホーテ」の生まれたカスティーヤラマンチャのような場所こそ、本場のスペインを味わえるという意味が含まれているのだろう。

昨日はホストファミリーのママとハウスメイトとパエーヤを自宅でパエリア。パエーヤというと黄色いイメージだがケミカルを使っている場合もあって、家庭のパエーヤはとにかくピーマンからイカから海老からアーティチョークからライスから何でもぶっこみ、色は赤茶色という感じだ。隣でムール貝を茹でてその茹で汁を使うのも秘訣なのか王道なのかわからんが、旨くなる。ムール貝だけでも100個位購入したので一人20個くらいは食べたろうか。3ヶ月という短い期間の留学なので、ホームステイは正解だと思っている。

奥が深いスペイン。歴史のある国の奥深さにどんどん深みにはまっていく。

2005/05/03

IT投資だ!

この街に来てずーと気になっていたことがある。街の至る所にある公衆電話や小さなインターネットカフェ。電話のユーザーは年配の人々でネットカフェは若者である。
昨日バルセロナのすし屋はどんなものかと、一人で観光ガイドに掲載されている場所に行ってみた。バルセロナの中心街から少し北西の方角に行ったところにある「新市街」にそのすし屋はあった。この辺りは日本領事館やショッピングモールがあると聞いていたのだが、なるほど行ってみたら横幅250mくらいあろうかという大きなビルディング。 とふとビルの丈夫にあるマークに懐かしさを覚えた。縞々の13本の線が入った英語三文字表記。そうIBMだ。このビルにはIBMバルセロナ支社が入っているらしい。
地下に食堂がありそこにカウンター風のおすし屋さん。残念ながら、日曜日は魚市場が休みということでおすしを食べれずなんだか月見そばなどというものを食べてしまった。そこで、つき一度発行されているという日本語の新聞をゲット。サンフランシスコで言う「ベイスポ」だな。
そこには、ITへの投資や研究開発への政府の投資額が著しく低く、多くのお金があまり収益を生まない建築や観光に当てられているという記事が。なるほどどこ行ってもワイアレスランをゲットするのが難しい訳だ。今後はIT投資にもどんどん積極的にとはいうものの、まだまだ時間がかかるのだろう。古きを大事にする国っぽいからそれでも僕はいいのだが、どこかでワイアレス使えないかなぁ。

2005/05/01

カテドラルと王の広場

2日前からホームステイ先にお世話になっている。2年前だったら、現地で学校や家探しなんて怖くてできなくて、前もっての準備でてんてこ舞だったろうが、今は屁の河童なんだよなー。成長しているってことなんだろうか。いや学習しているって事だ。誰でも場数踏めばなれるもんだ。
バルセロナは幸いにも交通の便がいい。電車も縦横無尽に走り、バスも夜中中20分置きに走っている。タクシーだって安い。 サンフランシスコと環境は似ているといえる。だから、こちらで免許をとろうなんて微塵も思わない。というよりも、また「取れませんでした」と書くのが嫌だからだろう。

昨日は、カテドラルや王の広場といったバルセロナでも有名な「ゴシック」エリアに行ってきた。近年開発が進んでいる碁盤の目のように構成されている「拡張地区」に比べ、このゴシックは旧市街と位置づけされ細い小道が入り組んでおり、歩いていると「なるほどここはヨーロッパだ」と思える。歩いていると突然目の前に広がる広場やちょっとしたところにある遺跡。さすがに歴史のある国というのは本当に興味深い。人々が気にしてない所に、ちょっとした歴史的何かがあるのだから。ちょっとした小窓、ちょっとした小道。南へ行けばいくほど、イスラム文化の影響を色濃く受けているのでその変化を見るのも楽しいだろうなぁ。グラナダのアルハンブラ宮殿なんてものすごいんだろう。
町を歩いていると、大声を出したり裸になって町を横柄に歩いている軍団を見かける。ちょっと耳を傾けよう。なるほど彼らは予想通りアメリカ人だった。ステレオタイプなのかもしれないが、アメリカ人旅行者のマナーの悪さをこうやって感じるのも面白い。